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那須良輔紹介

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政治風刺漫画家 那須良輔 紹介

那須 良輔 :なす りょうすけ(1913~1989) 湯前町下染田生まれ。

  • 書斎写真



那須 良輔先生は、熊本県球磨郡湯前町で育ち単身画家を目指し上京。

”内職のつもり”で描いていた漫画が採用され「日本少年」に掲載されます。

昭和8年にデビュー以来、戦中戦後を通じて日本漫画界の重鎮として活躍され偉大な足跡を残されています。

戦後は郷里の湯前町同様自然あふれる鎌倉に落ち着かれました。


凄惨な戦争経験や政治に対する怒りをバネに、すぐれたデッサン力で時の政治家の似顔絵を特徴たっぷりに描き、それぞれの時代の政治や社会事象を痛烈に風刺されました。


また、生涯愛された釣りや自然を題材にした随筆や風景画なども多く、文化人としても広く知られています。

花鳥風月という風流もさることながら特に蛙、うなぎ等の生態を面白く描いた作品も特徴的です。


平成元年2月22日に逝去。享年75歳、院号を自然院とされました。


那須良輔 略年譜

大正2年(1913)
  4月15日、湯前村(湯前町)染田に父源次郎、母ヨシの長男として出生。

昭和2年(1927)14歳
  湯前高等小学校卒業。在学中、「全国小学校図書作品展」で二年連続二等をとる。
  またこの頃、少年雑誌に漫画や短歌を投稿する。

昭和7年(1932)19歳
  洋画家を志し、親戚中の反対をおしきって上京。
  上野坂下町の太平洋美術学校予科に入学。
  生活費稼ぎに漫画を雑誌に投稿。

昭和8年(1933)20歳
  「日本少年」(実業之日本社)に原稿が採用され、専属となる。
  「のんきな殿様」・「わが輩はノミである」等で売れっ子の漫画家となる。
  その後、「キング」・「大衆クラブ」等に大人向け漫画も掲載するようになる。

昭和12年(1937)24歳
  第1回目の召集を受ける。
  その後、終戦まで3回の召集を受け、その間大本営参謀本部等で伝単やポスターを描いたりする。

昭和15年(1940)27歳
  近藤日出造の「漫画」にはじめて政治漫画を発表。

昭和20年(1945)32歳
  漫画集団に参加する。漫画集団事務局が空襲で焼失、帰郷する。

昭和21年(1946)33歳
  熊日新聞に子ども向け漫画を連載。

昭和23年(1948)35歳
  上京、平河町に居をかまえる。(その後、鎌倉市扇ヶ谷に移る)

昭和24年(1949)36歳
  横山隆一氏の推薦で毎日新聞社嘱託として、政治漫画・随筆を担当。

昭和27年(1952)39歳
  週刊東洋新報社嘱託として、「週刊東洋経済」に政治漫画・随筆を連載。

昭和29年(1954)41歳
  1月、日本航空の東京・ロスアンジェルス線開設の際、文化人代表として招待を受け渡米。

昭和31年(1956)43歳
  9月、第3次文化使節団として草野心平等と中国を訪問。

昭和33年(1958)45歳
  ロンドンで開かれた国際漫画家展に出品、国際的にも高い評価を得る。

昭和34年(1959)46歳
  はじめての本格的著書「吉田から岸へ」を刊行。また、銅版画展を開く。

昭和39年(1964)51歳
  7月、日ソ文化交流の一端として、檀一雄らと釣り視察団を組み訪ソ。

昭和47年(1972)59歳
  鎌倉市都市計画審議委員を委託される。

昭和60年(1985)72歳
  「漫画家生活50年」と題した個展が鎌倉、熊本で開かれる。

昭和62年(1987)74歳
  日本漫画家協会選考委員特別賞を受ける。

昭和63年(1988)75歳
  勲四等瑞宝章を受ける。

平成元年(1989)75歳
  2月22日自宅にて逝去。2月24日漫画集団葬営まれる。

法名は「自然院清諷良輔居士」


  • 00_略年譜2

  • 00_略年譜1

    那須良輔略年譜





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