大正2年 (1913年) |
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4月15日湯前村(町)下染田に父源次郎、母ヨシの長男として出生。 |
昭和2年 (1927年) |
14歳 |
湯前高等小学校卒業。在学中「全国小学校図画作品展」で二年連続二等をとる。 またこの頃、少年雑誌に漫画や短歌を投稿する。 |
昭和7年 (1932年) |
19歳 |
洋画家を志し、親戚中の反対を押しきって上京。上野坂下町の太平洋美術学校予科に入学。生活費稼ぎに漫画を雑誌に投稿。 |
昭和8年 (1933年) |
20歳 |
「日本少年」(実業之日本社)に原稿が採用され、専属となる。 「のんきな殿様」・「我が輩はノミである」等で売れっ子漫画家となる。その後「キング」・「大衆クラブ」等に大人向け漫画も連載するようになる。 |
昭和12年 (1937年) |
24歳 |
第1回目の召集を受ける。その後、終戦まで3回の召集を受け、その間大本営参謀本部等で伝単やポスターを描いたりする。 |
昭和20年 (1945年) |
32歳 |
3月、近藤日出造、横山隆一等と仕事を続けるが、漫画集団事務所が空襲で焼失、帰郷する。 |
昭和21年 (1946年) |
33歳 |
熊日新聞に子供向け漫画を連載 |
昭和23年 (1948年) |
35歳 |
上京、平河町に居をかまえる。(その後鎌倉市扇ヶ谷・小林秀雄の旧居に移る。) |
昭和24年 (1949年) |
36歳 |
横山隆一氏の推薦で毎日新聞社嘱託として、政治漫画、随筆を担当。 |
昭和27年 (1952年) |
39歳 |
東洋経済新報社嘱託として、「週刊東洋経済」に政治漫画・随筆を連載 |
昭和31年 (1956年) |
43歳 |
9月、第3次文化使節団として、草野心平・壇一雄等と中国を訪問。 |
昭和34年 (1959年) |
46歳 |
はじめての本格的な著書「吉田から岸へ」を刊行。また、銅版画展を開く。 |
昭和54年 (1979年) |
66歳 |
著書「随筆私の絵暦」・「鎌倉を描く」・「筆かげん味かげん」・「鎌倉谷の細道尾根の小径」・「わが酒中交友記」を刊行。 |
昭和60年 (1985年) |
72歳 |
「漫画家生活50年」と題した個展が鎌倉、熊本で開かれる。 |
昭和62年 (1987年) |
74歳 |
日本漫画家協会選考委員特別賞を受ける。 |
昭和63年 (1988年) |
75歳 |
勲四等瑞宝章を受ける。 |
平成元年 (1989年) |
76歳 |
2月22日自宅にて逝去。2月24日漫画家集団葬 営まれる。 法号「自然院清諷良輔居士」 |